DIARY-ぼんさん、Michiの日記-


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 2007120日から日記を書くことにしました。日記と言っても、つれづれなるままに綴っていきたいと思っています。このHPの管理人ほか編集員が担当しています。

 

 

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◆2018年3月◆

■2018年3月18日、素直になる

(文・坊守)

今年は例年にない寒波の到来で日中も気温の低い日が続き、水道管凍結に大慌ての日がありました。次第に立春が過ぎた頃から春らしい陽気になり、山地には春を告げる[満作の花]も咲き始めたという。時折吹く風にも穏やかで心地よさを感じます。寒中、屋根からの落雪から、本堂を閉めていました。今日は久しぶりに玄関を全開していたら、日差しが本堂の中まで入り、一気に春を思わせられ、そろそろ厚着からも解放されそうです。しばらくして、一人の観光客が入ってきました。見ると年配のようです、正座をしながら独り言を喋っています。亡き人と会話をしているように見え、どことなく寂しさを感じた。気になりながら声をかけずにその場を見守りました。帰り際に冊子『真宗の生活』を差しあげたら、「有難うございます。心静かに素直な気持ちでお参りできました」と言葉を残して帰られたのです。私たちは、[素直になる]というその事が、中々容易でありません。人には明るく澄んだ[従順温順な面]と、濁った[邪悪な恥ずかしい面]のどちらも持っていて、簡単に素直にはなれないものです。観光客は仏様の前で正座をされて、「素直な気持ちになれた」とは何をどの様に感じ取ったのでしょうか。とても気になるところです。また、いつの日かお参りに来てくれる日を待ちたいと思っています。

 

2017年

 

 

8月

好きな服、似合う服に折り合い(文・坊守)

3月

福寿草が咲きました〜育むということ〜(文・ルリソウ)

3月

仏教語 -畜生-(文・坊守)

 

◆2017年8月◆

2017813日 好きな服、似合う服に折り合い

(文・坊守)

 今年は例年にない異常気候、各地に様々な被害をもたらしました。梅雨に入っても雨らしい雨も降らず、所によっては水不足の影響で節水制限も出されている。一方で連日33度と猛暑が続き、携帯からは熱中症に関する情報が頻繁に流れます。体中から汗を拭いても拭いても流れ落ちる。少しでも涼しい所がないかと狭い家の中をウロウロ動き回っていた。そんな中で暑さを紛らわすため、長らく押入れに眠っていた服の片づけをはじめた。懐かしく、色あせた服を手にして当時が蘇り、一枚出しては体に合わせ、また一枚と、中々片づけが進まない。気づいたら、押入れから出したはずの服が、無意識に押入れに戻していたのです。体型やデザインからは到底着られないと納得しながらも一枚一枚に思い出と愛着があり、捨てる事に抵抗があった。フリーマーケットなどを考えたがデザインや流行等を思うと、あまりにも他の人を見下した傲慢無礼と取られかねない。

しかし、このままゴミとして出すには偲びなく、もう一度着てみたい、また着られるかも、と思いながら誰もいない部屋でコッソリ着て鏡の前に立つこと数分。 そして鏡に映し出されたありのままの体型や容姿に衝撃をうけ、そこでやっと不要ゴミとしての諦めがついたものです。 これまで好きということを優先に選んできたが、 好きな服が似合う服とは限らないということを実感させられたのです。これからは、好きな服でも似合うかを見極め、そしてどこかで妥協と折り合いをつけながらの選びかたも大事だと、改めて思いました。

 

◆2017年3月◆

2017318日 福寿草が咲きました〜育むということ〜

(文・ルリソウ)

先日、知人から「今年も庭の福寿草が咲きました」とメールが届いた。彼は私の大先輩だ。長年教鞭を執って来られた彼は引退後、仕事に追われた時間を取り戻すかのように、花を育て野菜を作り、野山をかけ回り草花の絵を描き、それまでの生活を一変させた。世間で、暴行や虐待など残酷なニュースを毎日のように目にする一方で、彼の生活は一見社会と無縁の隠居生活のようにも見えるが、生命を育て、生命を見つめるその生活は、広い意味で社会を育てる大事な役割を果たしているように思う。
   
生という字は、大地から芽を出し成長する様を表しているが、植物を育てる時には常に生命が育つ場所=大地を育てることから始まる。土を耕し、水やりし肥料を与え、栄養を含んだ柔らかい土にしてから種を蒔く。その後も土が乾かぬよう水やりし間引き、やがて芽を出せば日差しが強くないか心配する。雨が強ければ雨が当たらぬよう屋根を掛け、暴風で飛ばされぬよう支柱を立て囲いもする。そうして毎日手をかけ心配し、花が咲き実を付けるまで様子を見守る。
   
子どもを育てるという時もまた、成長過程で親の役割は大きい。そのことを、どれだけの親が意識しているだろうか。
 
世間で暴行や虐待といったニュースが連日のように取りざたされる昨今、学校でも虐めや不登校の問題が散乱している。我々大人は、子どもの問題は子ども自身に問題があると思い込み、行いを正そうと必死だが、子どもの問題は子どもを取り巻く我々大人に問題がある事も少なくない。
   
今、世の中で最も欠落しているのが『育む』という言葉ではないだろうか。愛を育む・心を育む・命を育む…育むという意味を理解するには、命の誕生・成長、そして死を見つめる以外にない。彼は、庭の福寿草の小さな命に何を感じたのだろうか。私は無性に会いたくなった。

 

◆2017年3月◆

■仏教語 -畜生-         (文・坊守)

先日、新聞 に掲載されている記事を見て、積もった不満を吐き出してるように思えた。「怒りをコントロールできますか?」 というタイトルに面白さがあった。その中で、6割の人が怒りをコントロールできると答えている一方で4割の人がコントロールできないと答えていた。それは理不尽な言動に、伝えるべき抗議も怒りのあまり、理路整然と伝わらないことで問題がおこると言う。私たちの感情、喜怒哀楽の中で「怒り」がもっとも厄介なのかもしりません。そんな怒りが頂点に達した時、最後の捨て台詞の言葉が 「畜生」なのでしょうか。     

小雪が降る寒い夕方、何やらどこからともなく子供たちの声が聞こえる。辺りを気にすることもなく「畜生、畜生」と、叫びながら向こう側から足早に歩いてくる。一瞬、何を叫んでいるのだろう、と。ランドセルを背おった小さな子供たちだがすれ違いに 「どうして畜生なの」、と聞いてみると一人の子が「色々あって」などと、生意気で大人っぽい返事をしてくれた、単なる遊びの延長だったのだろうか、それとも声をあげることで、怒りの心を癒しているのだろうか。大人社会なら人間関係や仕事で納得いかない時、腹立つあまり誰に言うわけでもなく、つい「畜生」と一人言として愚痴る、また、ある時には相手を罵り蔑んで、さらに強い言葉で吐き捨てる事もあろう。どちらにしても、ここで「畜生」と叫んでいる時は、わたしはこの畜生の枠の外にいて、決してわたしではないのです。怒りのあまり自分を見失って、口から飛び出した言葉が知らず知らず相手を傷つけ差別になってしまうのです。親鸞聖人は『教行信証』の中で「涅槃経」を引用され、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)について述べており、その中の畜生について「自分を見失っている存在を無慚愧といい、名づけて人とせず、名づけて畜生とす」 と言われています。このように無意識に使われている言葉が仏教語だったのです。あらゆる、いのち生きるものを踏みつけ、そして傷つけても恥じない私たちに対して、それは人間とはいえないと。人間として見失った私たち社会に、問う言葉として畜生の語を引用されているのでないでしょうか。決して全ての生きものを見下して言う言葉ではなかったのです。

 

007-0784

 

2016年

 

 

8月

学んだものが行動と一致してこそ(文・ルリソウ)

8月

もったいない -物を大事にすること-(文・坊守)

3月

自分で立ち上がるようなたくましい子育て(文・ルリソウ)

3月

類はともをよぶ  類をもってあつまる(文・坊守)

 

◆2016年8月◆

2016813日 学んだものが行動と一致してこそ(文・ルリソウ)


 子日わく、学びて時に之を習う、

亦説ばしからずや。

朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、

亦君子ならずや。

 

これは論語の最初に出てくる言葉ですが「学びて時に之を習う」は、陽明学では「知行合一」といって、学んだことを行動に表すことをさします。言葉だけでなく、そこに行動が伴って初めてその人間の人格が表れてくるというのですね。口先で人をごまかして生きている人間なんて空しいものです。学んだものが行動と一致して結びつかなければ、生きた学問にならないことを意味しているのでしょう。そして「朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや」。志を一つにした人たちが遠くから集まって勉強する。そして語り合い、ときには反発し、互いに磨き合う。お互いに遠慮し合って心地いい議論ばかりしていても、自分を磨くことなどないのでしょう。若かりし頃の自分を今懐かしく思う。         

 

◆2016年8月◆

2016813日 もったいない -物を大事にすること-

(文・坊守)

梅雨の長雨から開放され、今日は梅雨明け発表と同時に、いよいよ夏本番です。庭の大木に集まった蝉たちも梅雨明けをまっていたかのように、一斉に大合唱です。青空の中、時折吹く爽やかな風が何とも心地よく、そんな風に誘われるように散歩に出た。たまたま、すれ違った親子が何やらソワソワしているので、何気なく声をかけて見た。子どもが持っていたお菓子を袋ごと落としてしまったので、どうするか迷っていたという。しばらくして母親は、お菓子を拾うことなく、子どもの前で袋の上から踏み潰したのです。そんな姿を子どもはどんな気持ちで見ていたのか、とても気になったものでした。私には少なくとも「もったいない」という声が聞こえるようです。

高度成長と共に経済状態が豊かになり、物が自由に買える時代、しかし東日本震災のような大きな被害を受けると、生活に不可欠な物資をはじめ、全てのライフラインがストップし、これまでの当たり前の生活が一変するといった体験から震災後、「物を大事にすること」、そして「もったいない」ということを改めて、考えさせられました。

昨年、中国人観光客による「爆買い」なるものが報じられ、高級品が大量に売れると言うことで注目されていました。日本には馴染みませんが、ブランド店に群がる観光客の爆買いは一過性だろうか、異常な買い方に見え、あの光景は今も残っています。一方で私たちもバーゲン・セールには店頭で、「長蛇の列」となり不要と知りつつ買い求める。長い風習によって作られた、人にだけ見られる特徴なのか、今や国境を越えて共通して言える「人間としての好奇心」からなのでしょうか。だと、すれば決して、中国人観光客の「爆買い」ということを揶揄することはできないのではないでしょうか。

 

◆2016年3月◆

2016318日  自分で立ち上がるようなたくましい子育て

(文・ルリソウ)

子を思う心情は、昔から和歌に詠まれてきた。

   旅人の宿りせむ野に霜降らば 

我が子羽ぐくめ天の鶴群
           
         『万葉集』より

 

この句は、唐の時代に我が子を遣唐使として見送る母が作ったものですが、当時の交通手段といえば舟ですから、母の心中は只事ではなかったようです。その心情を、雁に託し鶴に願うた。鶴は、寒い霜夜には羽で覆い子を温めるといいます。また、越冬する小さな虫たちも、母が全身で卵を覆って守り、春には卵から孵った我が子の初めての食事として、我が身を与えて生命を全うします。野生動物は、危険を顧みずに子を守り、子育ても命懸けです。「転ばぬ先の杖」―この私も我が子が心配で沢山の杖を用意しましたが、それでは子は前には進めないのでしょう。我が子が転んでも、自分で立ち上がるようなたくましい子育てをしていきたいものです。  

 

◆2016年3月◆

2016318日  類はともをよぶ  類をもってあつまる

(文・坊守)

暖冬で雪が少ないという年明けからの予報に各地のスキー場から不安の声、また夏に向けての水不足の影響がでるのでは、と聞かれていたが次第に例年の寒さに戻り一夜のうちに降雪30pもの大雪に誰もがホッとしました。そして寺の境内も一面が雪景色。今年初めての積雪とあって、子供のように嬉しさもあり夜明けを待って雪掻きを始めました。

丁度その時、大きな塊のような物が動いているように見えたので、少し明るくなるのを待っていると、6匹もの野良猫たちが集まっていたのです。猫の多いことに異様な不気味さを感じた反面、珍しく面白い光景として気になったのです。雪の降る中、家の軒下に集まって何か話し合っているようにも見えました。思わず持っていたスコップを置いて息を潜めて見入っていたら、こちらに気づいたのか猫達がそれぞれ別方向に分かれて歩き出した。気の合う者同志が集まって行動しているのかと思いました。

「類は友をよぶ」「類をもってあつまる」の諺のように、動物の世界にも人と同じ行動様式を共にする習性があるのか。一般に似た者同志が集まる、と言う事から相手を見下した時など使われることがあります。しかし、同じ価値観を持った者同志が自然に寄り集まることは、いつの時代でも同じで当然の姿です。その中で安心して語れる場所、自分とは違う視点から新たな発見があり、意見交換できる癒される居場所とするならば、自分とは違った眼でこの私を見てくれる同志として、「類をもってあつまる」「類は友をよぶ」と言う諺は改めて、意味ある言葉であろうと思います。

 

007-0784

 

2015年

 

 

8月

いつでも、どこでもお念仏

3月

仏事を迎える 

 

◆2015年8月◆

2015813日 いつでも、どこでもお念仏

   (文・坊守)

梅雨明けとともに、連日の猛暑で庭の草花にも立ち枯れが目立ち、恵みの雨に無性に期待をしながら、一方で一瞬の吹く風に爽やかな心地よさを感じさせます。夏の風物詩である蝉たちの鳴き声が夜明けとともに一斉に聞こえると暑さが倍増し、いよいよ夏の到来、そしてお盆の時節がやってきます。行き交う人たちから「お盆も近いですね」と声掛けられると、いつも亡き両親を思い出します。遠く離れている人たちは、それぞれの故郷を思い墓参のために帰って来るという、日本人としての素朴さがいつの時代からか定着しています。普段静かな町にも賑やかさが戻るとそんな光景を見ては、若かった当時羨ましくさえおもったものです。亡き両親の墓参や供養したい、と頭を過ったこともありました。しかし、お盆はお寺にとって忙しい時期,わがままなど言えませんでした。しばらくして聞法会に参加する機会があり、そこで『歎異抄』という一冊の書物を知りました。『歎異抄』は親鸞聖人の直弟の唯円の筆と言われています。読んでいく中で、次の言葉がひっかかっていました。「親鸞は父母の孝養のためとて一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず」「一切の有情はみなもって世々生々の父母兄弟なり」と。親鸞は父母のために一返も念仏したことがない、と言われています。その故は生きとし生けるものは全て生まれかわり生きかわる《いのち》の縁であり、すべてが父母兄弟なのだ、と言っておられます。『歎異抄』を読んでいくなかで、念仏は墓参や追善供養のためのものではなく、亡き人をご縁にお念仏の教えを聞く場であったと。故習に惑わされ、教えからかけ離れていた私であったと気づかされたのです。真宗はいつでも、どこでも念仏申す身として生きよ、という教えであったのです。

 

◆2015年3月◆

2015318日 仏事を迎える

    (文・坊守)

  

おとき(食事)風景     縁影寺婦人部による調理

  

2014年5月「春の法要」献立 赤飯・すまし汁・うま煮・ポテトサラダ・酢の物・ひたし・玉子豆腐・甘茶

201411月「報恩講」献立 ごはん・京風けんちん汁・うま煮・きんぴらごぼう・おふくろ豆・お浸し・酢の物・箸やすめ

例年5月と11月はお寺にとって大事な仏事を迎えます。5月の「春の法要」は4月8日にお生まれになったお釈迦さまの誕生をご縁として「生まれた意義や本当の人間として生きるとはどういうことか」法要の中で仏様の教えを通して私たちに伝えてくれる仏事です。11月は浄土真宗をお開きになった宗祖である親鸞聖人をはじめ、念仏の教えに生きられた先達に思いをいたし、その恩徳に感謝し報いるための仏事「報恩講」がつとまります。全国の真宗門徒として永い歴史のなかで受け継がれてきました。当浄影寺も昭和49年から始まり今年で41年目を迎えます。報恩講の時期になると本堂内外の清掃から仏具磨き、そしてお斎(食事)の準備で慌ただしくなります。その中でも参詣する方々へお出しするお斎の準備には数日かかります。当初、報恩講を迎えるといっても何もない中で、どのようにしたらいいのか困惑しながらも江口徳代前婦人部長(故人)と調理器具の買い出しをしたり、材料をどうするか、献立をどうするか等々問題が出るたびに相談し、夜遅くなることもありました。次第に焦りとともに重荷とさえ感じるようになっていたのです。丁度その時、前坊守からの「そんな気持ちで親鸞聖人に申し訳けないよ」と言われ、その言葉に気づかされたものでした。そうして前婦人部長に相談し、他の真宗寺院を見学することから始めたのです。試行錯誤しながら迎えた当時の報恩講や大変ご苦労された前婦人部長を懐かしく想い出されます。今日では、仏事を迎えるにあたって気持にもゆとりができ、大野浩子婦人部長を中心に婦人部の方々で一品一品心をこめてお斎「食事」作りに励んでおります。「春の法要」そして「報恩講」のときしか食することができない浄影寺の味をご門徒の皆さんに是非味わっていただきたいと思っております。

 

007-0784

 

2014年

 

 

8月

813日 挨拶と習慣

8月

813日 こころが、ゆる〜り、ゆる〜り

3月

318日 震災から3年…

 

◆2014年8月◆

2014813日 挨拶と習慣                   (坊守)

年々増え続ける高齢化問題、社会通念65歳以上は高齢者と呼ばれる存在です。中でも認知症による徘徊で行方不明者も多いという情報に、高齢者となった一人として気になります。ある日、突然と記憶を失い全てが途切れ自分が誰なのか、そして帰る場所もわからなく、路上をさ迷う日が来るかもしれないと思うと不安に陥り淋しくなります。こんにちまで高齢者という呼び名に違和感があり素直になれず遠ざけてきた。現実に年を重ね、認知機能の衰えや容姿の変化が徐々に見えてくると、誰にでも起こりうる当然の道理と認め、今まで気付かなかった我が身を素直に受け止めて、付き合っていけたらと思うと楽になります。これまでの人生を誰かに証明してもらい、その時々を楽しみながら過ごしたいと思うことは贅沢と言えるでしょうか。2008年から6年間で徘徊によって警察に保護された行方不明者が546人に上ると言います。地域での声がけや挨拶によって不明者を未然に防ぐこともできると言います。先日、「認知と徘徊・どう声がけ」と題して新聞に掲載されていた。その中で2人の記者が高齢者の体験をしようと、徘徊役と捜索役の二手に分かれて、周りから気づかれるように合図を出しながら呆然とあるいてみたが、すれ違いに声をかける人が少なく、寧ろ冷めた視線が気になったといいます。認知機能が低下しても言葉を交わすことで、一番輝いていた時代の自分に記憶が蘇る事もあるといいます。軽く交わす言葉でもその時の動作によって、何らかの異変に気づいてあげる、気づいてもらえるかもしりません。一日は挨拶で始まり挨拶で終わるといいます。地域で何気なく交わす大事な挨拶、大いに尊重し習慣づけたいものです

 

◆2014年8月◆

2014813日 こころが、ゆる〜り、ゆる〜り      (文・みち)

《ゆるきゃら》ブームが到来している。ご当地から生まれた、《ゆるきゃら》は愛くるしく、年代を問わず、心に幸福感をもたらす。中には、ゆるくない《ゆるきゃら》もいるらしい。ともあれ、ご当地の「ウリ」を前面に出している。《ゆるきゃら》がそこにいるだけで、大人も子どもも心がゆるくなり、笑みがこぼれる。わが真宗大谷派(東本願寺)にも、2011年の親鸞聖人750回御遠忌に合わせて誕生した《ゆるきゃら》がある。勤行本をモデルにした「あかほんくん」、蓮の花をモデルにした「れんちゃん」、ライオンと親鸞を掛け合わせた「らんのんくん」、そして仏恩報謝の「ぶっとくん」だ。今や、東本願寺に関わる催しには《ゆるきゃら》がフル稼働だ。この《ゆるきゃら》人気にあやかって、当の編集子も、ゆるくなろうかしらん。

 

◆2014年3月◆

2014318日 震災から3年…             (文・坊守)

「天災は忘れたころにやってくる」。先人の言葉です。天災が起きてから月日が経ってその惨禍を忘れた頃に、自然界の変化によって、再び起るといいます。東日本大震災から3年、今も時折余震が続きます。当時、予想もしない強く長い揺れに驚き慌てて飛出したものの治まる気配がなく「早く止まってくれ、早く止まってくれ」と叫んだのです。間もなくして情報などが途絶え電気や水道といった生活に不可欠なライフラインは全てストップし、それまでの状況が一転して大パニック状態でした。このような震災体験は忘れることはないでしよう。普段の防災に対する危機感の意識のなさがつくづく実感したのです。「天災はわすれたころに…」といいますが、私たちは何処かで絶対大丈夫という安全神話なるものを信じているのです。日本のどこでも起こり得る想定外の事態に備えての危機感は不可欠です。近いうちに南海トラフや首都直下型地震が想定されている中で2020年にオリンピック開催が決定したことで浮かれ気味の東京は準備が着々と進んでいます。しかし、この五輪で復興停滞の懸念も広かっています。日本文学者ドナルド・キーン氏が次のような疑問を投げかけています。「震災被災地はまだ仮設住まいの人や仕事のない人が大勢いる一方でなぜか東京の街は明るくオリンピック一色である、東北を忘れているのではないでしようか」。震災の記憶が薄れて風化しつつあることに不安を感じます。私たちは被災地の3年経った今をもっと知るべきでないでしょうか。普通の生活取り戻したい、と言う被災地の声、そして「私たちを忘れないでください」「私たちを置いていかないでください」という被災者のメッセージが心に残ります。

007-0784

 

2013年

8

831日 被災地をたずねて

 

◆2013年8月◆

2013831日 被災地をたずねて          (文・坊守)

先日、東日本大震災の被災地・石巻市を訪ねる機会があり、2年半すぎて初めて現地に入った。今も被災地の状況が新聞やテレビで報道されているので、大まかには知っていました。しかし、被災地に入り一帯を見回すと想像を超えた現状を見て、今まで築き上げてきた生活の基盤が自然の猛威の前で一瞬に崩れ、海へ消えたと思ったら、身震いがしました。また、いまだに進まぬ複興の遅れにもどかしさを感じました。

地元ボランティアの方が、当時のすさまじい状況をパネルにして見せてくれ、「雪降る寒い時期なので本当に辛かった」と話されていました。被害を受けて廃墟同然となった住宅や商店街は手付かず残ってあったり、瓦礫撤去後も土台の間からボウボウと生い茂った雑草だけが目につき、近くで呆然と立ちつくす人の後姿にさびしさを感じました。

 途中被害を受けた門脇小学校に立ち寄りました。津波の後、火災によって焼け焦げた校舎には、目隠し用のシートで覆わられていて、それは、震災で傷ついた子どもたちの気持ちに配慮しているといいます。近くには三体のお地蔵さんが立てられ、大切な家族や知人を亡くされた人たちの「心の拠り所」として、参拝する人で献花は途切れることはないといいます。

 今、各地で盗聴器が大きく問題視されていますが、被災地の仮設住宅では壁や板一枚を挟んでの生活のため、まるで盗聴器がついているようで、四六時中、隣人の声や行動が全て聞こえ、一度、気になりだして、もめると火種となって燻り続け、ストレスになるといいます。「今は安心できる居場所を求めて、かなわぬ夢ながら見続けています」とお話しされていました。被災地を訪ねて、改めて、自然災害の恐ろしさを思い知らされ、震災を絶対に風化させることなく『明日は我が身』として肝に銘じ、感心を持ち続けていきたいものです。

 

2012年

 

 

6

61日 節電効果で原発再稼働は必要なかったという声に〜未来の分岐

3

327日 残雪の本堂

007-0784

 

◆2012年6月◆

201261日 節電効果で原発再稼働は必要なかったという声に〜未来の分岐

 6月に入り、日本全国、衣替えに入りました。数年前から「クールビズ」という心地よい言葉で夏服の軽装が呼び掛けられてきましたが、東日本大震災以降、電力不足の影響から節電が叫ばれるようになりました。しかし、電力不足の影響だけではなく、日本にある全ての原発が停止したことを受け、再稼働を阻止するための節電という意味あいもあったかとも思います。経済活動や医療など、様々な場所で電気は不可欠、言わば、電気は基幹エネルギーであることは間違いがないでしょう。しかしながら、電気が基幹エネルギーとして重要だということと、原発の再稼働が安易に結び付けられてしまっているのも現実です。

 これまで国の政策は、電力会社による「CO2による温暖化問題」「エコ」「オール電化」などのキャンペーン語と相まって電気の利用量を上げ、原発立地自治体の財政にまで影響を与えるほど、原発の稼働比率を高めてきました。つまり、経済、生活、雇用の深くまで入り込み、私たちの命に直結するエネルギーになったのです。ところが、東京電力福島原発事故が人間の住まう土地を汚し、命を脅かし、未来をも奪ってしまった。そして、私たちの生き方や価値観まで厳しく問うものとなりました。

 そもそも、原発は電力を生産するための手段であって、目的ではない。そして、原発の技術は、人間世界を壊滅に追い込む核兵器の技術である。そのことと、私たちは、どのように向き合うのか…。

 福井県の大飯原発が再稼働せんとする今、「原発が再稼働すれば、電力は足りる」という国や某電力会社の言葉に安心して、いつものように電力を使用することだけは避けたい。むしろ、「節電の効果が上がって、原発の再稼働は必要なかった」という声が多く出てくるように、クールビズをしていきたいと思います。ここが、日本の未来の分岐になるかもです。

 

◆20123月◆

2012327日 残雪の本堂

今年の冬は例年になく寒い上に、降雪量が多い。特に、北日本や日本海側の地域の降雪は、もはや、災害といえる。

本堂の屋根に降り積もった雪が、気温の上昇と共に、物凄い音を響かせながら落下する。屋根の勾配は、落下する雪の速度を加速させる。

そんな降り積もる雪も、立春以降、春を感じるようになる。水分を含んだ雪は、急速に溶け始め、開花を待ち焦がれるように境内の桜木の蕾みも膨らむ。

季節は巡り、春は来る。大震災で負った傷、失ったものの大きさは計り知れないが、希望の光は必ずある。震災当日に誕生した小さな命が一歳を迎えた、という便りが届く。震災を乗り越えた小さな命は、私たちの希望の光となる。

 


2011年

 

 

11

1111日 東日本大震災から8ヵ月

 

007-0784

 

◆2011年11月◆

20111111日 東日本大震災から8ヵ月

 今日、東日本大震災から、丁度、8ヵ月を迎えました。暦の上では春であっても、まだ肌寒さが残る2011年月11日、午後246分。東日本全域を震源とする地震が発生しました。発生時刻、私は本堂(所在地・蔵王町遠刈田温泉)にいました。山間部にあるとはいえ、長い時間、激しい縦揺れと横揺れに、建物はミシミシと音を立て、立っていられないほどでした。長期間の停電、電話の普通で全く情報が入らないため親戚の安否確認もできず、ガソリン不足で食料調達もままならない日々が続きました。10日ほど経って、やっと電気が通った瞬間、電気の有難さを感じる間もなく、テレビのスイッチを入れると、流れてくる映像は、岩手・宮城・福島の海岸地域を襲った巨大津波に加え、水素爆発を起こした東京電力福島原発でした。その衝撃的な映像をみて、戸惑うというよりも、何が起こったのか分からなかったという方が言い当てていると思いますが、事柄を整理するまでに時間がかかりました。

 震災直後から、情報がない中で過ごした10日間を振り返ると、大量の放射線が放出されている中、幼子を連れて食料の調達に奔走し、東松島市に住んでいた叔父・叔母が大津波の犠牲となったことも知らなかった。情報が届かない、あるいは、情報が正確に、的確に把握できなかったことが、如何に、怖いことなのか思いました。震災直後、津波で亡くなった親戚・知人・ご門徒がいましたが、そのことを知らないで過ごしていたことが、とてもショックでした。

 津波被害があった場に立つと、震災直後、震災から8ヵ月後、そしてこれから…。刻々と流れる時間とともに、地域の変わりゆく景色の中で、復旧・復興を感じることでしょうが、しかし、その一方で、何か、心が置き去りにされていくような不安も感じます。「311日で時間が止まってしまった」「気がつくと、ボーッとしている時間が多くなった」、そんな声を聞きました。物理的な復興と同時に、心の復興、心が立ち上がっていくようなものが求められています。 

 


2010年

10月

104日 辛いことも楽しいことも人生の糧になる〜登山から学んだこと〜

7月

716日 不安があるのは、自分自身の存在が問題になっているということ

4月

410日 社会の出来事が自分の生き方を問うていく-新聞のスクラップから-

 

007-0784

 

◆2010年10月◆

2010104日 辛いことも楽しいことも人生の糧になる〜登山から学んだこと〜

また蔵王登山に行ってきました。今回は単独。コースは、刈田岳のレストハウスを皮切りに、熊野岳〜地蔵山〜三宝荒神山〜地蔵山〜熊野岳〜刈田岳。つまり、宮城と山形の県境に位置する蔵王を、宮城から登り、右手にお釜(火口湖)を見下ろしながら蔵王の最高峰・熊野岳を登頂し山形蔵王へ…というコース。スタート当初は晴れていた山が一転、山形蔵王に到着する頃は雷雨に見舞われてしまいました。しかし、しばらくして雨が上がり、雲の狭間から太陽光が降り注ぎ、空気は澄んで気持ちよい。そのとき思ったのです。黙々と一歩一歩、山を登り、ちょっとの休憩で爽やかな汗を流し、と思えば、雷雨に見舞われ、過ぎ去ってみれば澄んだ空気と光が射してくる…人生と一緒なんだと。山は優しさばかりがあるのではない、人生の厳しさと、それゆえに生きることの意味を考えさせる、そういう場なのだと思いました。辛いことも、楽しいことも、自分の人生の糧になるような生き方になる…そんなことを思いながら、明日、また蔵王登山へ行きます。

 

◆2010年7月◆

2010716日 不安があるのは、自分の存在が問題になっているということ

 毎日、生活を送りながら、漠然とした不安が起こってくることがあります。それは、自分のことについての不安だけかというと、そうでもないようです。近年の社会的状況も少なからず影響していると思いますが、「将来が見えない」という一言に尽きるかもしれません。経済状況、政治状況、老後の不安(社会保障)、将来に夢を描けない子どもたちの問題…。こうした社会状況と自分自身の生活実感の中にあって将来が見えず、自分が生きている足場が不安になってしまっているのかもしれません。つまり、将来の不安は将来の不安ではなくて、現在ただ今を生きている「現在の私」の不安なのです。この不安が閉塞感を生み出し、ますます不安に駆られてしまうという悪循環になってしまっています。こうなると、自分の力だけではどうにもならないのでしょう。恐らくは、自分自身が当てにならないという現実に直面するときほど、不安なことはないと思います。

 かつて「不安があるということは、自分自身の存在が問題になっているということだ」と仰っしゃった先生がいました。生活上のあれこれの問題に対して様々に不安をもつのが私たちですが、その不安というものを総合すると、この自分がどうしたいのか、様々な問題に直面している不安になったり悩んだりしているけども、そもそも不安になったり悩んだりしている自分というものは一体何なんだ、ということになるのでしょうか。とすると、不安というものは避けようと思っても避けるものではないのでしょう。寧ろ、自分が抱えている不安に対して真向かいになることでしか、その先が開けてこないのかもしれません。

 「不安に立つ」と仰っしゃった先生がいましたが、不安に立ち、不安を抱え、不安が問いかけているものに耳を傾けていくことで、つまり、正体不明であった自分の存在を課題にしていくということでしか人生は開かれてこないのだ、ということなのでしょう。こう、あれこれと筆をとっている僕も、今、抱えている不安に対して真向かいになっていかなくてはなりません。

 

◆2010年4月◆

2010410日 社会の出来事が自分の生き方を問うていく-新聞のスクラップから-

 今月に入り、各地で入学式や入社式が行われています。新生活に夢を懐き、抑え切れないワクワク・ドキドキという感情が生まれ、一方では、先の見えない未来と、どうしてみようもない現実の中にあって、また一歩歩を進めなくてはならない不安な感情が交錯しているのがこの時期です。

 私事ですが、昨年から新聞のスクラップを再開しました。大分昔のことになりますが、大学生の時に毎日々々新聞の切抜きをしていたのですが、就職して以来、スクラップをする時間が持てずに止めていたのです。ところが、情報は手帳サイズのノートに時系列に纏めていくことを薦めている本を読んだことを切っ掛けに、時代社会の病理的事象や世界の情勢が大きく転換するような記事やオピニオンを切り抜くということをしています。新聞を読み、切り抜き、ノートにスクラップをする時には、再読しジャンル名(見出し)を付していく…この繰り返しです。単純作業ではありますがその中で見えてくる点があります。それは、起こっている一つの事件や事象には、個別の背景が存在することは勿論ですが、スクラップしたノート全体で見たとき、それは特殊なものではなく、実態が見えにくい社会が抱える「時代」としての背景も見えてきますし、共通の問題も見えてきます。「グローバル」という言葉がありますが、一地域で起こっている事象は一地域の特殊性から起こっているのではなく、流動化する世界情勢の中で、津波のように一地域に押し寄せて被害が生じているということもあるようです。

 その一方で、起こるべくして起こるようなものが私たちの社会やこの身に内在しているということも言えます。つまり、世界の情勢から押し寄せる波は外縁(切っ掛け)であって、私たちの身に、あるいは社会の中に起こるべき因(種)がすでに内在している、ということです。そういう見方をしていくならば、社会で起こっていることに対して決して傍観者ではいられなくなります。事件や事故、あるいは大きな動きに対して、自分はどのように受け止め、どのように考え、どうしていくのか。大きなことはできないかもしれないけれども、自分の日常生活の中で、どのように行動していけばよいのか…と。社会の出来事が、いつでも自分の生き方を問うていくようなものになっていくと思います。その中で、時代や社会を、あるいは人間を見ていく眼が生まれてくるのではないかと思っています。

 今から、本日付けの新聞を切り抜きたいと思います。

 

 ご意見・ご感想をお聞かせ下さい。

e-mail  jyoyoji@yahoo.co.jp

真宗大谷派 浄影寺 参拝係


2009年

12

1231日 具体的展望のない変化は混乱になる〜中長期的視点も必要〜

10

101日 小さな参詣者―わあ、大きい。キラキラしてるう―

7月

712日 初めての自家製ヨーグルトに感激中♪

6月

614日 「匿名化された死」と、具体的・私的・情的・歴史的な生(死)

4月

45日 価値観の異なる人とどのように向き合い、手を取り合っていくのか

2月

26日 夢に対して何をしたのかが人生の満足-オバマ大統領就任に寄せて-

 

007-0784

 

◆2009年12月◆

20091231日 具体的展望のない変化は混乱になる〜中長期的視点も必要〜

 今年も残すところ一日となりました。この一年を思い起こしてみれば、海外ではアメリカのオバマ大統領の就任、世界的な核兵器廃絶の動き、環境問題への動き、一方、国内では鳩山民主党政権の誕生、「コンクリートから人へ」をスローガンにした国の事業転換など「変化」(チェンジ)を謳った動きに、人々は将来への期待を寄せたように思います。しかし、沖縄の普天間基地移設の問題で早期決着の道が遠のき、日米の政府、地元沖縄、日本中がこの問題で混迷を深めたように、現実は甘くはなかったのです。…というのも、具体的展望のない変化は、混乱になるだけだったのです。目の前の問題を一つひとつ解決していくということは、もちろん大切なことですが、同時に、いま行なっていることが果たして、中長期的にどうなっていくのか、という視点も必要かと思います。

 さて、自分は…といえば、何とも心もとない限りですが、希望を持ち計画を立てるけれども、現実は自分に甘く、問題を先送りしてばかりで、遅々として前に進んでいません。そんなことに焦る気持ちも束の間、読みたい本やしたい事が山積し、結局、どれも十分に手を付けられずに月日だけが経っていた…という、反省ばかりの一年でした。

そして、「新年の抱負は?」と誰から聞かれるまでもなく、自分で勝手に抱負を語ろうとする…。今年の総括ができていないにも関わらずに、です。そんな繰り返しの私にも、また一年が来ます。

 

◆2009年10月◆

2009101日 小さな参詣者―わあ、大きい。キラキラしてるう―

 先日のことです。「こんにちは〜」。どこからか子どもの小さな声がしました。本堂へ行ってみると、外で手をあわせていたのは小さな女の子の参詣者でした。「こんにちは。どうぞ、(本堂の)中へお入り下さいね」。お話してみると、その女の子は小学校4年生で、毎日通学していてお寺の本堂が気になっていて、思い切って訪ねてみたそうです。本堂の中に入ると「わあ、大きい。(お飾りが)キラキラしてるう」と感激、今までお参りすることができずに疑問だった謎が解けた瞬間でした。「仏さまを見て、怖くない?」「怖くないよ」。「真ん中にいる仏さまはね。阿弥陀仏という名前の仏さまで、いつも光いっぱい放っているからキラキラしているんだよ。悲しい気持ちや辛い気持ちで心が暗くなっているとき、その心を明るくしてくれるんだよ」。「へええ」。珍しそうに、目を輝かして聞いてくれました。帰り際、お参りの記念にと華葩(はなびら・散華)をプレゼントしたら大変喜んで「また、来まあす」と行って去って行きました。華葩とは、蓮の花弁の形似せて、厚紙で作られたもので、両面に飛天(天人)や鳳凰など浄土の姿が鮮やかな色で彩られていて、重い法要などで使用されているものです。

 それから数日して、その女の子はまた訪ねてくれました。今度はクラスの男の子二人を連れて。「また、来ていいですかあ?今度は、お兄ちゃんやお姉ちゃんも連れてきまあす」。 

学校帰りの子どもたちが立ち寄れる場、あるいは、学校や家庭以外で頼れる場つくりが地域では必要なのだと感じました。日常の中で仏さまに手をあわせるということが少なくなってきた現代にあって、静かに手を合わせ、尊いことに頭を下げていけるような場があるということは稀有なのでしょう。私たちのこの命の歴史と意味を静かに訪ねていけるような場がお寺の本堂の役割でないかと改めて感じました。そして、様々なことに出遭い、人生に生きずまったとき、子どもたちがいつでも安心して駆け込めるような場、それを提供していきたいと思いました。

 

◆2009年7月◆

2009712日 初めての自家製ヨーグルトに感激中♪

 最近、嬉しかったこと。それは、初めてヨーグルトを作ったことです。たまたま、先月末に遠野市にある某寺院を会場とした研修会があって、その日、一泊させていただいたのです。朝食に並んだのがヨーグルト。しかも、自家製でした。聞くと、20年ほど前にヨーグルトを作る元菌をいただき、それ以降、自家製のヨーグルトを家族で食べるのが日課だそうです。もちろん、添加物はありません。ヨーグルト菌を市販の牛乳に入れ、菌を培養…。今の時期だと、雑菌に気をつけて2日間も常温保存すれば出来上がり。保存といっても、置いとくだけ。それで、添加物を一切使用しない、天然のヨーグルトが出来る。ほんと、市販されているヨーグルト以上に、風味があり、とても美味しかったのです。それで、興味津々だった私は、余り手間をかけず、されど美味しく、家族に喜ばれる…ということで、元菌をわけていただきました。

 そして、帰宅するなり、早速、市販のパック牛乳にヨーグルト菌を入れ、常温保存…。その2日後の夕方、パックを覗いて見ると…ヨーグルトらしきカタマリが…。嬉しさの余り、思わず「ヨーグルトが出来てるう〜」と大騒ぎしてしまいました。それ以来、毎日のように自家製ヨーグルトを食べています。ささやかな楽しみになってしまいました。

 あらためて、自然って、ホントすごいです。

 

◆2009年6月◆

2009614日 「匿名化された死」と、具体的・私的・情的・歴史的な生(死)

 最近、読んで気づかされた新聞記事(意見)がありました。くだりは、アカデミー賞受賞映画「おくりびと」と直木賞受賞の小説『悼む人』の共通点から始まり、やがて、「戦争システムがもたらす無差別の大量死」・通り魔事件による無差別殺傷容疑者の「誰でもよかった」というものとの共通点に、死そのものの匿名化の問題が上げられていました。

 考えてみると、人間の生き死には本来、具体的なものであり、私的なものであり、情的なものであると思いますが、事件や事故が起こり多数の死者などが出ると新聞記事には、「○○人、死亡」「日本人の犠牲者○○人」などの無機質な数量化された見出しが躍ることが多く見受けられます。惨事の規模や凄惨さを伝えるメディアや、情報を受ける市民意識からすれば、そういった見出しになることは止むを得ないのでしょう。しかし、そこには出来事の大きさを伝えることによって、一人の、個としての人間が理不尽に死んだという限りなく具体的な事実が「死亡者数」のオブラートに包まれ、一種の歴史の記録化が始まってしまうのです。それは良いとか悪いとかという問題ではなく、事実として言えばそういうことなのでしょう。

 人間の日常的な営みというものは具体的なもの(個的、情的)であるわけですが、それが何か一つの概念で括られたとき、抽象的な、いわゆる「匿名化」(公的、理的)されたものとなり、そこには情的なものが消された無機質なものだけが残るだけです。人間の営みや人間の命を数量化し匿名化することによって、人間は非情になれる…。そこに、組織の怖さがあります。組織の内実はシステムではないかと思っています。「情」を持っていた個としての人間が一つのシステムに組み込まれたとき、その歯車の一つとなり、「情」に代わるものとして、システムの論理が自らの行為の正当性や存在の根拠となってしまう。そして、システム(組織)に対しての忠誠心(真面目さ)は、時として、無意識的に人間性を失わせしめ、人間を殺してしまうこともある…そんなことを思います。

 そこで思うのは、人間の存在や生・死については、極めて具体的で私的なものである、と。そして有機的なもので、情的なものであり、歴史的な事実であると。決して、数量化や匿名化、観念化されたものではないと思っています。

 

◆2009年4月◆

200945日 価値観の異なる人とどのように向き合い、手を取り合っていくのか

 国際世論を横目に、今日、北朝鮮から「人工衛星の打ち上げ」を目的としたロケット(一説によれば軍事ミサイルテポドンの改良型)が発射され、日本上空を超えたという報道がありました。北朝鮮が国連に事前通告していたとはいえ、ロケット(あるいはミサイル)が私たちの住んでいる地域の頭上を通過したとあっては、心穏やかではいられませんでした。しかし、このこと以上に気がかりな点が幾つかありました。政府やマスコミを含め、日本国内が異常ともいえるほどの、緊張感を煽るかのようなムードを作ってしまったことです。確かに、危機管理に余念がない状態にすることは「国民生活の安心と安全」を責務とする国としては分からなくもありません。ただ、この状況に対して物々しく地対空ミサイルや軍艦のイージス艦を配備し、さも国内に着弾するかのような言動が多く、大騒ぎしているようにしか見えませんでした。この、ある種、作られた緊迫感が一つ間違えば戦争に繋がってしまうのでは…と心配しているのは私だけでしょうか。昨日、日本のレーダーの誤探知によってミサイル発射という誤った情報が流れてしまったようですが、これも、異常な緊迫感の中で情報が伝達されたらしいとのこと。この情報の誤謬によって、戦争が現実のものとなることもないとは言えません。

 軍事的な緊張感を必要以上に高めることで、そこで何が生まれるのか。今回の日本の動きは、「有事の際の予行練習になった」と言ったこともささやかれだしました。危機感を煽ることで軍備が増強していくようなことにならなければ良いが、と心配しています。

 今回のロケット(ミサイル)発射が、北朝鮮にとって、軍事目的というよりも、交渉するためのカードを手に入れるためのものだとしたら、これは外交が重要になってくるのでしょう。戦争という暴力によっては平和が築けないということを、先の戦争で学んだ私たちは、北朝鮮の政府関係者という価値観の違う人たちとどのように話し合いをし、平和を構築していけばよいのか。このことは、私たちの日常においても同じことが言えるわけで、価値観の異なる人とどのように向き合い手を取り合っていくのか、ここは知恵の見せ所ではないでしょうか。焦らず、じっくり、しぶとく、確実に…。

 

◆2009年2月◆

200926日 夢に対して何をしたのかが人生の満足-オバマ大統領就任に寄せて-

 2009120日正午(日本時間21日午前2時)、アメリカのみならず、世界中が見守る中、バラク・オバマ氏がアメリカ大統領に就任しました。就任前から「アメリカ初の黒人大統領」ということで、日本では深夜にもかかわらず、大統領就任式をライブ放送で観た方も多かったのではないでしょうか。

 ブッシュ前大統領など新自由主義者が牽引する資本主義経済や外交問題によって世界全体が危機的状況に陥り、将来の展望すら見えない中で誕生した大統領がオバマ氏でした。遠い日本にありながら、しかも、今の日本政治の体たらくと経済悪化・失業者の増加による社会不安の中にある私たちにも、何かしら、将来への希望の光を届けられているような気がしました。これは恐らく理屈抜きに、です。しかし、希望の光を見、希望に満ちた将来を夢見るということと、現実に、そのためには何が弊害となり、何をすべきなのかが未知数であることも否定できません。思うに、社会が不安になっていくのは、様々な社会状況によるところが大きいのですが、そのこと以上に、社会状況の悪化とともに、私たちに解決の糸口が見えなくなっていること、そして、何をどうすれば良いのかが全く分からない状態に置かれてしまっていること。それによって、私たちの心の中で、やり場のない不安と怒りが増幅する一方になっているのだと思います。そしてそれは、怯えと恐怖をもたらし、疑心暗鬼に囚われ、結果、暴力をうんでいくのです。

 「夢は見るものではなく、叶うものである」との格言がありますが、そう、夢は叶えていくものなのです。その考えに従っていくならば、夢を叶えるために自分が今、何をすべきなのかが次に来るのです。しかし同時に、その夢を阻むものと向き合うことも余儀なくされるでしょう。そこで私が大事だと思うことは、夢を叶えられたか叶えられなかったかが問題なのではなく、実は、自分がその夢に対して何をしたのかです。そのことによって、たとえ、叶えられないことになったとしても、そこに人生の満足を得ることが出来る…そう、思っています。

 希望・夢…、そして願い・祈り…。私たちが今、持たなくてならないのは、このようなことだと思いました。

闇夜の世を生きる人間にかけた親鸞聖人の深い祈りの言葉をご紹介します。

「世のなか安穩(あんのん)なれ、仏法ひろまれ」(『御消息集』)

 


2008年

12

危機意識をもち、温かい施策を!-雇用は「いのち」の問題-

11

問われる存在の根拠-共同幻想に成り立つ危うさ-

8月

どこかスッキリしないオリンピック

7月

大自然に身を任せ、心(脳)も体もリフレッシュ-解決の糸口が見えてくるかも

6月

「「便利」は良い面だけでなく悪い面も-生活ツールとしてのケイタイ-

5月

「ツバメが訪ねてきました」

4月

「夢に向かってどのように生きたのかが大切」

 

007-0784

 

◆2008年12月◆

20081219日 危機意識をもち、温かい施策を!-雇用は「いのち」の問題-

 12月に入り、これまで以上に社会状況が悪化してきました。しかも急激にです。アメリカの金融経済の悪化から実体経済にまで影響を及ぼし、企業の業績悪化・雇用削減にまで発展し、1929年に起こった世界恐慌の悪夢の再来を予感させる状況に不安を感じる人が多いのではないかと思います。

 労働条件が不安定な派遣労働者が契約期間の満了を待つことなく企業によって失職する現実、そして失職によって企業が用意した住居まで追われてしまう。しかも、この寒風の中にです。経済に端を発した問題ではあるけれど、そこに、政治・行政が機能していないという状況に怒りすら起こります。雇用問題など緊急を要する問題については与野党の枠を超えて対策を講じるべきだし、「いのちの問題」を党利党略で弄ぶことは許されないと思います。

 社会で起こっている状況を高みから見物するのではなく、危機意識をもって、医療・福祉・雇用など、いのちに関わる部門については温かい施策を政治・行政に求めます。

 

◆2008年11月◆

2008114日 問われる存在の根拠-共同幻想に成り立つ危うさ-

 米国発のサブプライムショックが世界を駆け巡り、株価の大暴落、急速な円高、そして景気の大幅な後退・・・、1929年に起こった世界恐慌に匹敵するくらいの混乱が続いています。そしてこの混乱は中小零細企業の倒産や失業にまで影響し、これから12年は続くとか。先行きの見えない状況に不安を抱える人が多いのではないでしょうか。資本主義の悪しき一面、市場原理主義がもたらした影響という指摘もあります。

 はて、社会というものは個々の集合体です。そうすると、そこには自ずとルール(社会規範)や交通整理をしなければ、個々のもつ欲望が剥き出しになり、欲望のまま暴走し、他人をも巻き込んでいくだろうことは想像に難くありません。そして、金融証券という、実体経済から乖離した形でも成立してしまう巨大な貨幣経済・・・。ある意味では、貨幣や証券は社会の約束事や「幻想」の上に成り立っていると、素人ながら思われてなりません。つまりは、紙や数字で作られた貨幣や証券なるものに「価値あり」と思う(=「幻想」)ことによって、取引が成り立つのですが、逆に、「価値なきもの」とされれば、その貨幣や証券は実際上、価値がなくなるのです。

 何を価値と見るかは人ぞれぞれですが、共通の価値観という「幻想」によって成り立つ社会が如何に危ういものかが、サブプライム問題で突きつけられたように思います。こうした「共同幻想」とも言うべきものは貨幣経済だけではなく、バーチャル的なネット社会もそうでしょう。そうしたことが持っている危うさは、「生きる」という命の実感さえ奪ってしまうものになっていると思います。

 人間にとって本当の価値とは何か、人が「生きる」ということにおいて、真に価値とするべきものが何なのか、こういったことが改めて問われたのではないかと思いますし、また、自分はどこで本当に生きていると言えるのか、そして、この自分が確かに人間として存在していると言えるような存在の根拠が問われているような気がしてなりません。

 

◆2008年8月◆

■どこかスッキリしないオリンピック

 あっという間に走り去った夏・・・。当地の夏は猛暑になったのは数日くらいで、夏の風物詩・扇風機の稼働率はゼロに等しい、なんとも、夏らしくない夏でした。思えば、梅雨明け宣言以降も雨の続く日が多く、夜ともなると秋を思わせるような清涼の風まで吹くような状態・・・。一方、関東や西日本では記録的な猛暑に加えてゲリラ豪雨・・・。自然に何かが起こっていると思わずにはいられません。

 そうそう、北京オリンピックが終わりました。「スポーツの祭典」「平和の祭典」を標榜する一方で、政治的な動きや人権問題、ナショナリズムの問題が噴出し、中国が抱えている様々な問題が明るみになってきたという感じです。

 確かに、アスリートにとっては人間のもつ限界性に挑戦し、それが結果的に世界記録を更新するという、スポーツとしてのピュアな面はあるのでしょう。しかし一方、オリンピックは、国家による政治利用、ナショナリズムの高揚、国家としてのメンツ、巨額なビジネスとしての側面があることは誰しもが認めるところです。思えば、かのヒトラーがベルリンオリンピックを政治利用していたことは有名です。もっとも、国家の威信をかけて行うだけの理由はさもありなんです。

 そういったことを考えると、アスリートが様々な苦難を越えて4年に一度の祭典に照準を当て、自分の限界に挑戦し、結果としてメダルあるいは入賞することについては、拍手喝采し共に喜ぶことがある反面、国民的期待を背負いつつ敗北したアスリートに対しては厳しい非難が反動として起こってくる・・・。国全体で熱狂していく状態は、一歩間違うと、誤った方向へ集団暴走し、暴力的なものへ変質していきかねません。そうした背景には、社会や自分の置かれた状況に対しての憤懣や、将来に対する不安によるストレスがあることも否定できないと思います。

 そういう意味で、オリンピックで活躍するアスリートを応援しつつも、何か、オリンピックそのものが抱えている問題を危惧し、気持ち的にはどこかスッキリしない感じの北京オリンピック期間でした。

 

◆2008年7月◆

 

 

■大自然に身を任せ、心(脳)も体もリフレッシュ-解決の糸口が見えてくるかも

 

 先月、エアロバイクを購入しました。国を挙げてメタボリック対策の影響がトウトウ僕の生活にも及んできたということなのでしょうか・・・。と言っても、おなかのデッパリがちょっとだけ気になる程度なのですが・・・(笑)。まあ、運動不足解消の切り札には余りならないとは思いますが、街で自転車に乗っているつもりになってペダルを漕いで、爽やかな汗を流しています。

 そもそも、汗を流すというのは気持ちの良いものです。何か、考えごとが纏まらなかったり、気分が優れないときなど、ちょっと体を動かしてみる、散歩に出かけてみる・・・。そうしたことで、新しい発想が生まれたり、気分爽快になることも少なくありません。学者の中には、歩いて思索することを日課としているということもあるようです。そういうことを考えていくと、今ある環境から一歩外に出て、体を動かしてみると、抱えている一見出口がなさそうな悩みであっても、何か解決の糸口が見えてくるのかもしれません。ひょっとすると、体を動かして気分を変えてみるということは、今、私たちが持っている小さな考えや発想を破って、違った角度から物事を見つめ直してみるということかもしれません。一つの考え、一つの見方に捕らわれてしまうと、ドンドン深みにはまってしまい、ちょっとの努力で解決できたものが解決できなくなってしまうということもあります。

 いや、そもそも問題としていることが、自分にとって本当に問題なのかということもあります。実は悩まなくても良いことを問題としてしまって悩んでいるということもあります。そんなことも、体を動かし、気分を変えれば解決できそうなこともあると思います。

 考えてみれば、体を動かすということも脳の働きと無関係ではないとか。つまり、体を動かすということは、脳が活性化することにも繋がっていくものなのです。逆に、脳が働くときには大きなエネルギーを要するらしく、思索し過ぎてお腹がへるということにも頷けます。

 梅雨が明け、夏本番になりました。・・・といっても、ここ蔵王は夏が短い上に、ちょっと小高い所へ行けば涼しい、いわば、避暑地なので凌ぎやすいです。森林の中を散策したり、夏山登山には打ってつけでしょう。気分転換にもなります。・・・ということで、蔵王の大自然に身を任せるべく、今夏も蔵王登山に挑戦します。

 

◆2008年6月◆

■6月4日 「便利」は良い面だけでなく悪い面も-生活ツールとしてのケイタイ-

 このところ携帯電話がものすごい勢いで普及し国内では飽和状態、しかし一方で、電話機器に様々な付加価値がつき、今や、単なる電話通信の域を超えて、一つの生活ツールとなりました。道に迷ったらメールや電話で目的地にまで誘導され、ケイタイで何かを伝えれば、すぐさま返事が返ってくる・・・。しかし、返事にしても言葉の使い方や絵文字の使われ方によっては言葉が凶器ともなってしまう・・・。それは、時として、こちらが伝えたかったこと以上に、相手が大きく反応を示し、誤解を生み、最悪の場合は犯罪にまでエスカレートしてしまう・・・。コミュニケーションのツールとしては自分が住んでいる地域社会を越えて、見ず知らずの人との出会いも可能にしてしまう・・・。そんな便利なケイタイも、落とし穴は沢山あります。

 見ず知らずの相手とのメールによって、実際の出会いがなくとも「親しく近い関係」という錯覚まで引き起こしてしまう。言葉は使い方によっては、武器にもなり、自分の素性を隠す鎧にもなります。ケイタイを含めたネット社会は匿名性が高いという性格から見れば、実際の社会ではありのままでいられない自分が、ネットでは本音が言えるから良いのだという・・・・そんな面が強調されますが、一方で、匿名性であるがゆえに、自分の本性を隠して人を貶めたり、相手を攻撃していくことにもなっていく面もあります。ネット社会の実態は、極めて人間関係が薄い仮想社会だと思います。そんなことを考えて行くと、「便利」なものは自分にとって良い面だけではなく、罪を犯そうとするものにとっても「便利」なのです。

 周りに便利なものが多くなると人間の性質は劣るような気がしてなりません。物事に対して疑問を持ち、問いを温め、深く考えるという思考が「便利さ」によって急激に失われてしまっているような気がします。良いか悪いか、○か×かという単純化した結論を簡単に求めていくような雰囲気があります。

 確かに、物事を単純化すれば、分かりやすいし覚えやすい。ネット言えば検索しやすいのでしょう。しかし、世の中のことはそう単純ではないのです。物事の結論に至るまでの長い道のり(過程)がなければ、本来、答えというものはでないものだと思っています・・・という我輩(ワガハイ)も、パソコンやネットを活用し、その恩恵にも預っているので何とも矛盾を抱えて苦しい限りです。はあ、やっぱり、これは機械や「便利さ」が問題なのではなく、それを使う人間の問題ということか・・・。

 

◆2008年5月◆

■5月1日 「ツバメが訪ねてきました」

 お寺の境内にある桜が散り、桜木が新しい葉に覆われてきました。ゴールデンウィーク間近の今日は朝から良い天気に恵まれたので洗濯をし、本堂の扉を全開にしました。スーッと入り込む新鮮な空気、干し物から放出される日差しの匂い・・・。気持ちの良い季節になりました。5月病とはよく言ったもので、机に向かって仕事している時でも、気がつけば「心ここにあらず」、気持ちはスッカリ外の景色に奪われてしまっています。そんな折、一羽のスズメが本堂の中に迷い込んできました。

 まあ、いつかは出て行くだろうと、本堂のほとんどの扉を開けて待っていても、中々、本堂から出られないでいるようでした。それもそのはず、天井が高い本堂ゆえ、高く飛んでいるスズメにとっては出口が見つからない。「もう少し低く飛べば、たくさん出口があるのになあ」と思うのは人間の考え・・・。スズメは旋回するだけで、やがて疲れてしまったのか鴨居で羽を休める・・・。そのうち、糞なんかしてしまったら・・・と、見かねて、スズメを誘導せんと風を煽ったり・・・。しばらくすると、また鴨居に止まったまま動かない・・・、疲れてグッタリしているのでは、と、大きい脚立で登り鴨居に近づくが全く動かない・・・。不安になりつつ、そっと手を出しスズメを捕獲。すると、目をパチクリ・・・。なんと、あまりにも飛び回った挙句、疲労し過ぎて休んできただけなのでした。ふう、ホッとしたなあ・・・。

 それで、水を入れた器を差し出したら、スズメは水にくちばしを入れたので、「こりゃあ、もう大丈夫!」と一安心、スズメから手を離したら、晴天の大空へ高く飛んでいきました。スズメがドンドン離れて行くのを眺めながら、「そう言えば、5月ってツバメの飛来時期だったんだなあ」と思い、季節を実感した一日でした。

 

020-0136◆2008年4月◆020-0136

■4月10日 夢に向かってどのように生きたのかが大切

 桜前線がこの蔵王にも上ってきました。境内にある桜木の蕾が日に日に膨らんできているのを見て、ますます開花を待ち焦がれています。その気持ちは、きっと期待と夢を開花に寄せているところから起こってくるものなのでしょうか。

 4月に入ると、様々なところでそれぞれの人生の旅立ちがあります。入学・就職・・・。新しい環境に期待と夢を寄せながら・・・。しかし酷な言い方かもしれませんが、自分も今までの自分から脱皮していこうとしなければ夢の実現への道は遠いものになってしまうのでしょう。夢を描くだけなら容易(たやす)いことではあっても、その夢を現実のものとするためには様々な条件が伴います。まず、夢を現実のものとするために、今、何をすべきなのか。そして、自分がなすべきものを着実にこなすためには、どのような環境が必要なのか・・・。そういったことが夢の実現には欠かせないものなのでしょう。しかし、そうは言っても、皆がみんな実現するとは限らないのも現実です。そこで思うのです。仮に、夢が現実ものとすることができないとしても、自分がその夢に向かって歩みを初め、昔の自分から脱皮して努力してきたことは、自分の人生にとって掛け替えのないものであると。そしてまた、自分が人間として成長したのだとすれば、それは、人生にとって充実した大切な「時」を生きたことになるのだと。

 夢が叶(かな)うとか叶わないとかということも人生にとって大切なことですが、それ以上に、夢に向かってどのように生きたのかということが大切なことであると思います。そこに共感してくれる人、応援してくれる人がきっといるハズ・・・。

 さあ、自分の足で、一歩一歩、あせらず、慌てず、ゆっくり歩いていきましょう。かく言う私は・・・といと、自分の生き方に手探り状態が続いています。


2007年

1月

「生きるとは表現すること」「出会いがもっている“空気”」

「人の出遇いは新しい自分との出遇い‐学生生活から‐」

2月

「出遇い続けるということ‐経典・人・自分‐」

3月

「あなたが大切だ」

4月

「自分の足元を見る‐完全なる立脚地‐」

5月

「人とのつながりは時間をかけて育むもの」

6月

「裸のままの存在が尊い」

7月

「ローカルという言葉が輝くとき」

8月

「うどん屋さん開店に、蔵王登山、大満足(!?)」

11月

「発想の転換」

12月

「忘年・水に流すということと、記憶・時を刻むということ」

007-0784

 

◆2007年12月◆

■12月7日(金) 忘年・水に流すということと、記憶・時を刻むということ

 師走とはよく言ったものです。12月に入ったら何かにつけて気持ちが落ち着かない日々が続きます。お歳暮の挨拶回りに、新年の準備・・・。そんな中でこの一年間に起こったことを振り返ってみれば、出てくるのは反省ばかり・・・。まあ、そんな失敗談だらけの年なんか忘れて心機一転、来年また頑張るさッ・・・ってことで忘年会に花開く。うまいこと考えたもんです。これって生活の知恵ですかいな。

 考えてみれば、一年間に起こった嫌な出来事を忘れてしまえということで「忘年会」。まあまあ、嫌なこともなかったことにしようということで「水に流す」。そんなことを師走に反省を込めて思いながら、新しい年になって、また繰り返す。一体、心機一転の気持ちは何処に行ってしまったのでしょう。こういうところに、どうも失敗や過ちの繰り返し、過った歴史を繰り返すことに繋がるような気がします。

 私たちは時間というと過ぎ去っていくものと考えてしまいがちですが、本当は時を刻んでいくものだと思います。つまり時刻です。もっと言えば、歴史は記録的なものではなく、記憶、つまり、心や身体に刻まれていくものだと思います。確かに、学校の歴史教科書のように記録化されて文献的に遺されていく面もありますけれども、しかし、起こった出来事に対して、それが悲しい出来事であればあるほど心や身体に刻まれ、時間が経っても昨日のことのように思い起こされるということがあります。その情景を思い浮かべると、色があり、においがあって、心や身体にも変化を生じさせる、そういうこともあるのです。そういう意味では、歴史というものは身体に染み込んでいくものなんでしょうね。

 年を忘れろ(忘年)と言われても、水に流せと言われても、忘れられない・水に流せないものもあるのです。むしろ、再び過ちを繰り返さないために、忘れず・水に流さず、記憶に留めていくことも大切なのではないでしょうか。そういう反省と記憶が、私たちの前途、すなわち未来を照らしていくものだと思っています。

 今年一年を振り返り、忘れてよいものと記憶として刻んでいくものと整理して、新しい年をスタートさせたいと思う今日この頃です。

 みなさんは、どんな一年でしたか?そして、新しい年を迎えるあたり、何をしたいですか?当たり前のことですが、2008年という年は“新しい年”で、未来永劫、二度と経験できない年です。さて、そんな年を人間としてどのように生きますか。

 

◆2007年11月◆

■11月6日(火)        発想の転換

 11月3〜4日、わがお寺で報恩講が勤まりました。報恩講とは「ご恩に報いる集まり(講)」という意味で、親鸞聖人が願っておいでになることを確かめる仏事です。この法要が終わると、いよいよ冬支度。雪国にとっては、これから春に向けて「力」を蓄えていく時期に入ります。寒さをジッと耐え、エネルギーを蓄え、よく考える、そんな時期です。

 私たちの人生においても、そんな時期があります。何をやっても上手くいかず空回りばかりしているときがあるし、精一杯やっているのに、自分が思い描いている状況に中々ならないときがある。やることなすこと裏目に出てしまうときもある。ガムシャラに走っているけど、でも、やっぱり、ふと立ち止まって振り返ってみる・・・そんな余裕も大事かもしれないと思ったりもする。

 しかし、いつまでたっても、状況が変わらない・・・なら、どうするか。

 発想を変えてみる。そう、発想を変えるには視点を変えなければならない。自分が立ってみている場所を変えてみなければならない。

 お金で物を買う。そのお金がなくなったら、もう生きてはいけないと思ってしまう。これは消費中心の見方かもしれない。逆に、物でお金を買うという生活もあるはずなのだ。そう、自給自足。自分が生産者となり、物を作り、自分が十分満たされたら、その物を売ってお金を作れば良い、つまり、物でお金を買うのだ。

 電車で目的に行く。しかし、スピードの出る電車で一気に目的地にまで行くだけでは、電車に乗っている時間は単なる移動にかかるコストになってします。そこでまた発想を変えてみる。途中下車をして寄り道をしてみる。あるいは、ローカル電車に乗って、人間観察をしてみる、地域ならではの駅弁を食べてみる。途中に温泉地の駅があったら下車し、温泉を堪能してみる・・・。

 発想の転換・・・今の時代を生き抜くための大事な点かもしれない。

 仏教で「他者の発見」という、他者とは自己の客観でないかしらん。つまり、他者との出遇いは、新しい自分との出遇い。他者との出遇いが、違った自分を引き出してくれるのだ。そのことを考えると、恋愛なんかも、新しい自分を生み出させ、成長させていくものなんだろう。こういったことも視点の変換、発想の転換に繋がるだろう。そんなことを思いながら、冬の間「力」を蓄えていきたいと思う。

 

◆2007年8月◆

■8月29日(水)  うどん屋さん開店に、蔵王登山、大満足(!?

 先日、登山をしてきました。このHPをご覧になっている方はすでにお分かりのように、管理人は蔵王山麓(宮城県側)に住んでいます。蔵王登山の案内をされているご門徒さんに、昨年の夏、「埼玉県から来られた山岳パーティの方々と蔵王登山をするので参加しない?」と誘われたのがキッカケで、今年も登山することになったのです(昨年は雨と霧で麓の散策になってしまったのですが・・・ ^^;)。決行は8月25日(土)、天候は雲ひとつない快晴で、絶好の登山日和!もう、楽しみで胸が躍り、当日は朝5時には目が覚めてしまいました。昨年購入したリュック・登山靴・パーカーを身にまとい、今年新調した登山用の杖とカッパを持ち、まあ格好だけは一応、登山者!しかし、登山をするたびに登山道具が一つずつ増えていくというような有様です(笑)。ですが、幼いころから蔵王を見て育ったこともあって、蔵王を愛する心は強いのです。

 さて、蔵王といえば・・・・・・、そう、「お釜」!噴火口に水が溜まり湖になった、いわば、カルデラ湖です。別名「五色沼」と言い、季節や陽の照り具合によってエメラルドグリーンの湖が様々な色彩に変化するんですね。その神秘さと言ったら譬えようがないくらいです。そして、噴火口付近は火山岩が多く急勾配もあるなど荒涼とした自然の厳しさを感じさせます。その一方で、コマクサやハクサンチドリなど蔵王には美しい高山植物が豊富で登山や散策をする人の目を楽しませてくれます。また、冬になると蔵王の景色は一変、とど松に付着した雪や氷が風向きに向かってドンドン成長し、ついには樹木全体を覆い巨大なモンスターを作ってしまう・・・。と、蔵王がもつ大自然の厳しさと神秘さ、美しさがあります。蔵王の案内はこれくらいにして・・・(^^)

 登山当日は自分を含め7人、平均年齢が67歳、最高齢は73歳のパーティでした。高齢の方で組織されたパーティだが甘く見ることなかれ。みなさんは、学生時代から山岳会に入っていて、現在でも毎月どこかの山に登っているという、超ベテランだ。ほんの数ヶ月前には富士山登頂を終えたというから、なかなかの体力をお持ちの方ばかり・・・。事実、一緒に登山をしてみて、あまりの足の速さに僕の方こそ呼吸が乱れ、ついて行くので精一杯でした。でも、そんな疲れも、蔵王から見渡すパノラマビューと美味しい空気で吹き飛んでしまいました。

 今回のルートは、蔵王山刈田岳からスタートし、お釜を横目に見ながら「馬の背」を歩き最高峰の熊野岳(標高1841m)へ。熊野岳の熊野神社(蔵王山神社)を抜けると熊野岳登頂、北方には月山が望むことができました。そして、熊野岳から登山道の「ロバの耳」に進み、五色岳のお釜(火口)外輪を歩き、お釜の水に触れる、・・・ところが、そんな計画が断念せざるを得ない状況に。「ロバの耳」からお釜周辺の登山道が落石の影響で閉鎖されてしまっていたのだ。そこで進路を変更しひときわ鋭角な三角形の姿を見せる名号岳に進もうとするも、途中、それも断念し、お釜の見える一角で昼食を摂ることにしました。

 昼食は毎回手作り。昨年は、イタリアの国旗を木の枝に下げ、パスタ・コンソメスープを食しました。このパーティは少々お茶目なところがあって、登山で作る料理にあわせ国旗やのれんを下げて開店(!?)するという。それを見て近づく他の登山者にはお裾分けをするんだとか。のれんを下げ、下ごしらえから作るとは中々本格的だ。今回は・・・と思いしばらくすると、一人のリュックから染物ののれんが・・・。「?」「うどん 味自慢」。ほお、うどん屋さん・・・うどん屋さんの開店だ!しかも、メニューはカレーうどん。玉ねぎを炒め、豚肉を切り、お湯にうどんを入れ、スープを入れ、カレーのルーが溶けたところを見計らって片栗粉・・・。「これで登山は7割終わったよ」と。話を聞くと美味しいものを作って食べるために登山をしているようなものなんだとか。カレーうどんを頬張った僕は素直に納得してしまいました。昼食の後、片付けをして、スタート地点へ向けて歩きました。

 「なぜ山に登るのか。そこに山があるから」。その言葉に込められた想いがようやく実感できました。「山へ登るというのは理屈ではないんです。理屈がないから山登りが面白いんです」とパーティの仲間・・・身体全体で目的地までひたすら登る・歩く・・・道に咲く高山植物の群生を目にしながら自然環境の厳しさと、その環境に生きる“いのち”の力強さ、そして登ったものが味わう達成感、登ったものに与えられる景色・・・。登山はまるで人生にそのもの(?)。下山した僕は、すぐまた山登りをしたくなりました。

※「ネットでお寺訪問」「写真集」のページに蔵王登山の写真を掲載しています。

◆蔵王登山の写真はこちら◆ ←クリック

 

2007年7月

■7月4日(水)   人は「公」である前に「私(=個)」

 「日本人は平和ボケだ」と言われて久しい。敗戦後60年を過ぎた今日でも、その戦争の爪あとは決して消えることがない・・・。前防衛大臣の「(原爆は)しょうがない」という失言に驚くと同時に深い悲しみを覚えました。口をついて不用意に出てきた発言・・・これはたまたま偶然に出たものか、それとも、ふとした時に口に出るほど常にそのような認識だったのか。私は後者だと思います。とすると、事柄は氷山の一角で、「しょうがない」という言葉が出るほどの認識であったということを暴露したということなのでしょう。しかも、原爆に対して、戦争に対して、あるいは戦争被害者に対して、そのような認識であるとするならば、ことは重大です。

 昨今、政治家の軽率な発言、過激かつ不用意な言動、一方で世論を誘導していく言動や行動が目に付くようになってきました。その責任は私たちにもあると思わずにいられません。政治や世の中で起こっていることに無関心・・・。無関心でないにしても、他人事と受け止め単なる情報の域を出ない・・・。最近、話題が尽きない「日本国憲法」というものは国家権力の暴走を縛るものであったはずで、決して、いわゆる「国民」を縛るものではないものなんです。そもそも、国家を監視するのが「国民」の仕事であるとも言えます。しかし、現実はどうでしょう。国家を監視するどころか、政治に対して厳しい目を向けることすらも忘れているかのようです。選挙の投票率の低さはそれを物語っています。投票率の低さは、投票に行かない人の意思が全くといって国政に反映されません。そもそも無関心、あるいは無投票というものは白紙委任しているのに等しいということになります。

 つい先日亡くなった阿部謹也さんは「日本には世間はあっても社会がない」と。近代という時代に、「社会」「個人」という考えが日本に入ってきたけれども、本当の意味で「個人」というものの西洋的な考えを受け取ることができなかった。大体、社会というものは個人の集合体で、その個人が行動することによって社会が変革すると・・・。つまり、社会を変えていくのは個人個人の行動だと。私もそんなふうに思います。世間というものは個とうものを没していくものなのでしょう。つまり、公のために個は没しなくてはならないと・・・。しかし、この社会に生きるもの一人一人が本当の意味で個であることに目覚め、社会の構成員としての自覚をもつとき、国や社会が舵を誤るだろうことに対して声を上げていくことができるのだろうと思います。

 人は「公」である前に「私」(=個)であるということを考えていきたい。そして、思考停止させていくようなシステムや意識に対しては注意してかからなくてはなりません。それぞれがそれぞれの「自分らしさ」をもつ、このことがまず一歩になるのだと思います。「人は独りにして尊い・・・」(天上天下唯我独尊)とは仏陀釈尊の言葉。「自分は自分のために生きるのだ」「自分を探すために人生がある・・・」という、仏教の言葉を大事にしたいと思います。

 

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■6月16日(土)   ローカルという言葉が輝くとき

 雨が恋しい・・・。例年だと東北はもう梅雨に入ってもおかしくないのだけれど、全国的に梅雨入りが遅いようです。梅雨の時期はジメジメするわ、梅雨の寒さのために片付けたコタツを出すわ、気分もどんより・・・と、東北の梅雨にありがちな様子も、なかったらないで困ってしまう。暖冬で降雪が少ない上に、雨が少ないとくると、今度は水不足が心配されます。そして、都会ではヒートアイラインド。こんな異常気象は人間中心主義の生産活動がもたらした結果なのでしょうか。グローバル化のウネリの中で、西洋の合理主義が効率優先の経済を作り、ついに、人間は自分の存在が自然物であることを忘れてしまう・・・。

 最近、グローバルに対抗する言語としてローカルという言葉が復権する時期に来ているのではないかと思っています。実は、とある研修会で内山節(ウチヤマタカシ)さんの講演を聞いて気づかされた点が多かったのです。内山さんは群馬県での農村生活をしながら『戦争という仕事』『「里」という思想』など多くの著書を書いている哲学者で、日本の風土、貨幣経済、グローバル化の問題などに多く発言をしています。特に、交換価値としての貨幣が、権力としての貨幣に転化してしまっているのが社会の退廃を生み、人間の退廃を生むと言われました。そして、もともと自然を「ジネン」と読んでいたのに、「シゼン」と読むようになり、自然を対象化してしまったと指摘されました。それに対して、親鸞聖人は自然(ジネン)という言葉を大事に、「オノズカラシカラシム」と注釈をしていると。

 なるほど、考えてみれば、親鸞聖人の教えの背景には名もなき民衆の存在と歴史があるんですね。「田舎のひとびと」「りょうし、あきびと、さまざまなものは みな いし・かわら・つぶてなる われらなり」という言葉が親鸞聖人の著作にあるように、まさしく、ローカル。人間生活というものは具体的な営みなんですね。子供を産み、育て、養育し、近所づきあいをし、大地から採れる野菜をいただき、海や川の魚の命をいただき、自然の恵みに感謝し、自然と関わりながら人間の生活がある・・・。私たちの生活には一つとして自然と関わらないものはなかったのです。グローバル的思考によって人間を見ると、人間は人間である前に「人材」としてしか捉えられなくなり、一人一人の人間は社会構造の部品でしかなくなる・・・。グローバルの落とし穴は、ひょっとすると人間そのものを見失うというところまで来てしまうのではないかしらん。

 今の時代にあって「ローカル」という言葉は、ますます輝きだしているような気がしてなりません。

 

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■5月15日(水)    裸のままの存在が尊い

 さる513日、浄影寺で「春の法要」が勤まりました。お釈迦様の誕生日が48日、親鸞聖人の誕生日が41日・・・。それをお祝いしての法要でした。古代インドにおいて生まれたばかりのお釈迦様は、七歩歩まれ天と地を指して「天上天下唯我独尊」と言ったといいます。この「唯我独尊」というと、何か独善的で自己中心的な考えのように捉えられていますが、決してそういう意味ではありません。この世に人間として生まれたもの、一人一人がその存在において尊いということなのです。もう少しザックバランに言えば、人は裸のまま生まれてきた、そのままで尊いということだと思います。

 私たちは様々な人生経験の中で、学歴、出自、地位や名誉などいろんな付加価値を自分につけないと価値がないものだと思ってしまう、そのことが他の人に対しても肩書きなどの付加価値で評価してしまう見方になってしまいがちです。しかし、人間そのものの価値は裸のままで生まれたという、そのことに掛け替えのない「いのち」の尊さと意味があるのですね。一人一人が誰とも比べようのない、絶対的な「いのち」を生きている・・・。そのことを教えてくださっているのが、お釈迦様の誕生なのだと思います。

 大きな「いのち」に押し出され、願われ、待ち望まれて、そして、遥か長い人間の歴史を経て、一人の人間が生まれてくる・・・。そのことに気づくとき、この世に生きている全ての「いのち」が愛しく思えてくるのでしょう。お釈迦様の誕生仏に甘茶をかけながら、そんなことを感じました。

 

020-01362007年4月020-0136

■4月9日(月)   人とのつながりは時間をかけて育むもの

 桜前線がいよいよ蔵王にも到来しました。朝晩はまだ肌寒さが残っていますが、日中はもう春の陽気です。お寺の境内にある桜木の蕾は膨らみ、今か今かと開花するのを待っているかのようです。朝7時、本堂の扉を開け、太陽の光を浴びながら「おつとめ」(勤行(ごんぎょう))をする・・・、そんな朝のスガスガシイ日課は、何気ないようですが一日の元気の元になっています。

 今日の午後、本堂建築で屋根を担当された板金屋さんが訪ねてこられました。職人さんならではの「こだわり」や技術の話を興味深く聞かせていただきました。そもそも本堂(入母屋作り)の屋根は浄土にいるとされる伝説上の鳥「鳳凰(ほうおう)」が羽を広げている状況をモデルとしたものと言われていますが、鳳凰が雄大にしかも、鳳凰が羽を広げた独特の優雅さを表現する綺麗な曲線は高い技術がなければ出せないものです。浄影寺の屋根は銅板瓦葺で、銅板一枚一枚丁寧に仕上げていくものですが、一枚の銅版が例えば5ミリずれると、曲線の仕上がりは大きく違っていくそうです。木工事による屋根の上に、正確に銅版を葺(ふ)いて初めて綺麗な屋根が完成します。こうした熟練の技術が次第になくなりつつあると、板金屋さんは嘆いておられました。

 今の時代、便利さや物質的な豊かさを求め、それが満たされて「しあわせ」という名の価値を決めるものと思っている風潮があるようです。しかし、便利さや豊かさは人と人との関係においても影響しています。人を使い捨てにする、便利に使う、多くの物をプレゼントすることが愛情だと錯覚し、自分の都合のよいような仲間作りをし、都合が悪くなれば他を排除し、場合によっては抹殺していく・・・いつから、人を「もの」として見るようになってしまったのか・・・。

 熟練した技術というものは一朝一夕ではできるものではなく、長い時間を掛けて訓練し温め育っていくものなのですね。人との関係においても、時間をかけ、信頼を築き、気持ちを温めて育んでいくものだと思います。反対に、即席に出来た関係や「もの」や「お金」で繋がっている関係というものはとても淋しいものです。

 板金の職人さんとお話をしていて、「ものづくり」と人との関係というものは大変似ていると感じました。職人さんのお話を聞くのは、とても楽しいです。

 

2007年3月

■3月17日(土)     自分の足元を見る‐完全なる立脚地‐

 久しぶりに書きます。

 最近また、何かと世間が賑わっています。東京都知事選、ライブドア事件の公判、中国を震源地とした世界同時株安、教育基本法の改正、原発の臨界事故隠蔽、「発掘あるある」番組問題・・・。日本を含む世界が何か過渡期に入ってしまっているような感じです。

 真実か虚偽なのか分からないような情報が氾濫し、世の中の潮流に呑み込まれ、気がついたときには修正の利かない方向へ、国も人々も、そして自分も流されてしまいそうです。心は乾き荒んで、人と人が傷つきあい、自分も他人も身の置き所がない・・・。そして、いつも不安を抱えて生きている、しかも漠然とした不安だ。その不安をまた煽るものも存在している・・・。不安を抱えているもの同士が寄り合うが、安心するのは一瞬だけで、一向に不安解消には至っていない。そんな毎日が続いている・・・。

 そんなことを考えていると、ふと、よぎった言葉がありました。「完全なる立脚地」です。明治という激動の時代を生きた真宗大谷派の碩学・清沢満之(きよざわまんし)の言葉です。「私」という存在の立ち処、「私」という存在を根底から支えているしっかりとした大地ということだと思います。この大地がはっきりしないと全てにおいて不安になる、そういう意味での立脚地です。そんなことを、あれこれ考えながら自分の足元を見てみる・・・。人生において何が本当に大事なことなのか、そして不安を生きることができる、そんな大地を求めて、清沢さんの触れてみたいと思っています。

 

010-0111 2007年2月 010-0111

■2月11日(日)           「あなたが大切だ」

 私たちは毎日の生活の中で、どれだけの言葉を使い、人と会話しているのだろう。言葉は時として、人を傷つけるものであったり、人を勇気づけるものであったり・・・。そういう中で、心の中に響いて残っていく言葉って、一体、どれほどあるのだろう・・・そんなことを最近考えています。

 そんな時、ある言葉に出合いました。本山・東本願寺の廊下に掲示されていた言葉です。

 

    命は大切だ。

    命は大切に。

    そんなこと何千何万回言われるより

    「あなたが大切だ」

    誰かがそう言ってくれたら

    それだけで生きていける。

                    (AC公共広告機構)

 

 この言葉に出合ったとき、何とも言えないくらい嬉しくなりました。多くの言葉が投げかけられてくるけど、「私」という存在を本当に認めてくれる言葉は少ないのです。でも、この標語にあるように、「あなた」と呼びかけてくれる言葉・・・この言葉を私たちはどこかで待っていたのかもしれません。私という存在を丸ごと認めてくれる、そんな言葉を・・・。

 多くの言葉よりも、「あなた」と呼びかけてくれる言葉の方が、「私」という存在の具体的な姿を見つめてくれているような気がしてなりません。私たちはただ漠然と生きているのではありません。悲しいことや辛いこと、嬉しいこと、切ないこと、毎日毎日の具体的な生活の中で起こってくることに振り回されながら、時には傷つきながら生きている・・・自分と言うものを見失いそうになるし、自分を傷つけ、他人を傷つけそうになる・・・。だれかに、そんな「私」を発見して欲しい・・・。

 「あなた」という呼びかけは、そんな「私」に眼差しを向け、「私」を発見してくれた言葉じゃないかないかなあと思いました。

 そう言えば、中国の善導大師(唐の時代の僧侶)が書かれた本に、阿弥陀仏が「我、よく汝(なんじ)を護らん」と言っていると書いてありました。「汝」とは「あなた」ということで、一人の苦悩する旅人に向けて発せられた阿弥陀仏の呼びかけだそうです。

 そんなことで、この標語に出合い嬉しくなって書いてしまいました。この標語は法語(仏さまの言葉)のように聞こえてきました。

■2月3日(土)20:55    出遇い続けるということ‐経典・人・自分‐

 久しぶりに書きます。先月24日〜31日まで京都へ行ってきました。ん?遊びに行ってきたのではありません。真宗大谷派(浄土真宗)の本山・東本願寺を会場に教師修練の仕事をするために行ったのです。ちなみに、この「教師」とは「大谷派教師」という意味で、言わば布教使と言ったところでしょうか。教師資格を取得するために、宗門立の大学等で単位を取得、あるいは検定試験を受けた後、前期・後期それぞれ一週間、本山に籠もり、教師になるための学びをミッチリするというものです。私はそのお手伝いをしてきたのですが、年齢は19歳から65歳、単にお寺を継ぐために受講する人、人生の大きな課題を抱えて受講される人など様々です。今回は後期のお手伝いで、宗祖親鸞聖人の教えを自らの生活というところで学びなおす、そんな修練でした。

 仏教を学ぶ、ともすると、自分抜きに学ぶということが多いものです。「誰々先生がこう言っていた」「誰々の学説によると・・・」などなど、自分抜きに語られることが多いものです。しかし、そもそも仏教は人間、ことに、「私」という存在の苦悩に応えていく教えなんですね。もう少し言えば、人間の具体的な営みの中で抱えている問題、人間存在が丸ごと問われてくる問題を解決するのが仏教なんですね。この修練では、親鸞聖人の教えを通して生活を問い返す学びの場でした。修練の中でスタッフとして関わりながらも、仏教を分かったつもりになっていた自分が露呈された感じがしました。

 人と向き合うということ、仏教の教えと向き合うこと、そして自分と向き合うということ、どれも私にとって分かったこととしていました。この問題はすべて共通していたのです。人との向き合い方が分からないということは、自分との向き合い方も分からないということでしょうし、またそのことが、人間の存在を課題とする仏教の教えに向き合えないものとしていたのです。

 そしてそれは、相手にしても自分にしても分かったこととして自己完結をしてしまっているので、そこに本当の意味で出遇い続けるということがなくなってしまっているのです。「あの人はこういう人だ」というレッテルを貼るのも、相手に対して完結をしてしまっているのでしょうね。自己完結してしまったら、その人の具体的な姿は見えてきません。何事においても安易に答えのみを求めていくことが多い現代ですが、問いを持ち続けるということがなければ、その人と出遇い続けるということも、自分と出遇い続けるということも、仏教の教えと向き合うということも難しいのかもしれません。

 そんなことを感じながら、一週間を過ごしました。これから、問いを持ち続けるということを大切にしながら生きてゆきたいと思いました。

 

010-0111 2007年1月 010-0111

■1月24日(水)0:35  人との出遇いは新しい自分との出遇い‐学生生活から-

 今日から31日まで仕事で京都へ行きます。・・・というわけで、しばらく日記をお休みすることになります。

 そうそう、私にとって京都は第二の故郷みたいなもの。学生生活を送り、社会人になっても過ごした京都。途中、他地域で過ごすこともありましたが、トータルすると約15年京都で生活をしていました。京都での私生活の一部を紹介すると、神社仏閣を中心に散策したり、お気に入りの珈琲店に行ったり、音楽のボサノヴァが好きなので、ボサノヴァの生演奏をしてくれるバーに行ったり、トロッコ電車に乗ったり・・・と満喫しました。もちろん、学生のときは勉学にも励みましたよ(←かなり怪しい!?)。仕事もそこそこに頑張りました。(←つもり!?)でも、学生時代に私の価値観や人生観、そして人生そのものに影響を与えた、よき師・よき友に逢えたことが何よりの収穫でした。

 想えば、人に出遇うということは人間にとって掛け替えのない財産だと思います。人と出遇うことによって、新しい自分、新しい世界に出遇えるからです。そういう意味では、人と出遇うということは、つまり、新しい自分と出遇うことなのかもしれませんね。

 さて、今日の夕方には京都にいます。それでは、いってきまぁす♪

■1月23日(火)1:45    出会いがもっている“空気”

 友人の結婚披露宴から帰ってきました。結婚に至る出会いって不思議なものです。この地球に多くの人々が生活している中で、共に人生を歩んでいこうと誓う異性をたった一人決めるのですから。ある友人が言っていました。「結婚を決意したとき、愛の質が変わった。それは恋愛から家族愛になった」と。何かそこに、好き嫌いを超えたもっと大切なものを発見するのでしょうね。例えばそれは、その人の生き方なり、人生観なり、ものの考え方なり、そして、その人の存在が自分の人生において掛け替えのないものとなり、伴侶となって共に人生を歩んでゆきたい・・・と。

 友人の披露宴で気づいたことは、結婚されたお二人には何か共通の空気が流れていることでした。それぞれが持っている空気(雰囲気)がとっても似ていたのです。夫婦になるということはこういう空気を作っていくことなんだなあと思いました。

 そして披露宴の翌日は松阪城跡をぶらっとし、本居宣長の記念館を訪ねてみました。ん〜、一人旅・・・これからも続く・・・か。

 そうそう、「そのまんま東」氏が宮崎県知事選で圧勝だったそうです。政党に対する期待薄の表れか、みんな社会が変わることを望んでいるのですね。「地方自治が変わる、日本が変わる」って誰かのフレーズでしたっけ?人の心が温かくなる世の中に変わるのだったら良いのだけれども・・・。

■1月20日(土)0:40    生きるとは表現すること

 こうして日記を書くのは、随分と久しぶりです。何年ぶりでしょうか。

 このHPの「生きるとは表現すること」というフレーズ、実は、私が最近心に残る言葉の一つなんです。何年前でしょうか、パレスチナで起こっている自爆テロ事件のニュースが世界を駆け巡っていた時期、あるシンポジウムの中で高校生の「幸せって何ですか」という質問に対して作家の大江健三郎さんが「幸せとは自分を表現すること、そしてその表現に対して邪魔をしないこと」と仰いました。この言葉が私の心に強烈に残っています。自分を表現する・・・、これは、この世に人間として生を受けた、そのこと自体が実は《いのち》の表現だと思います。その《いのち》表現に対して邪魔をする、つまり、《いのち》を傷つけていくのが戦争なんですね。《いのち》を傷つけるということは何も戦争だけではないんでしょう。私たちの日常生活の中で、どれだけ《いのち》を傷つけていく事件が多いことか・・・。心が痛みます。

 また、多くの人が自分の《いのち》を生き生きと表現できていない現実・・・。多くの《いのち》の悲鳴が聞こえてきます。

 この「生きるとは表現すること」というフレーズを心に想いながら、これから日記を書いていこうと思っています。

 さて、明日、友人の結婚披露宴に出席するために三重県の松阪市に行ってきます。

 

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真宗大谷派 浄影寺 参拝係